真田幸村のお墓
薩摩落ち伝説
真田幸村は、大阪夏の陣で討ち取られた・・・
はずの幸村だったが、実は豊臣秀頼を守り薩摩へ落ち延びたと言う説がある。
鹿児島県の南九州市頴娃町の山奥に真田幸村のお墓が有るらしい
そんな話を聞いた時に「ほんとかよ!??」驚きました。
テレビでも放送され、真田幸村の末裔が真江田と言う苗字を名乗って暮らしている
真江田家のお墓には真田幸村の家紋と同じ六文銭が、お墓の裏に確かに刻まれていました。
「真田幸村、薩摩落ち」で検索して見て下さい。
詳しくレポートされてるサイトがいっぱい出て参ります。
私が特に興味深く読ませた頂いたサイトは・・・
※西日本新聞さんの「幸村、薩摩に落ち延びた? 南九州市に伝説、ドラマで来訪増 山中に墓 地域おこしも」
※「真田家の館」
※トラベルjpさんの「秀頼も幸村も大助も的中突破!?薩摩伝・真田丸の地を巡る」
鹿児島の頴娃(えい)町雪丸集落に真田幸村のお墓が有ります。
鹿児島県薩摩半島の南部に位置します南九州市頴娃町、鹿児島県を代表するお茶の産地
広いお茶畑と美しい山々に囲まれ、一年を通して温暖な気候の小さな集落「雪丸」はそこにあります。
滅多に雪など降らない頴娃町に「雪」の文字の付く地名は奇妙と言いますかとても珍しい地名です・・・。
雪丸の地名ですが、一説に寄りますと、真田幸村の「幸村」が訛って「雪丸」になったと言う事のようです。
雪丸幸せ村プロジェクト
雪丸集落の方々が整備された駐車場、参道、手作りの案内板、休憩用の丸太の腰かけなど
地域の方々で幸村のお墓をお参りをしやすいように手入れされています。
地元で作られたキャラクターのゆきまるくんの方言も中々面白いです。
鹿児島の方言は独特で、特に頴娃の言葉は昔から「頴娃語」=「英語」と言うくらい解りづらいと言われています。
「雪丸幸せ村プロジェクト」のfacebookページに整備された様子が掲載されています。
雪丸GUIDO
『真田幸村伝説』
一、山伏伝説~
島津の助けをえて、薩摩に逃げ延びた秀頼と幸村!秀頼は谷山に・・・。
幸村は頴娃町雪丸の山奥にて、山伏修行をして身を隠していたそうな~。一、真田の秘水伝説~
幸村の墓とされるところより、暫し東へ足を踏み入れて行くと、水が湧き出て沢へと続く、山伏修行で渇いた喉を癒したと伝われがあるそうな~。一、とんどん(殿どの)伝説~
幸村の墓へと続く坂道は、『とんどん坂』と言い伝えられ、『それはそれは、たいそうお偉い方の墓があるから近づかぬように』と、子ども達は親から言い付けられていたそうな~。一.丸い小石の伝説~
幸村には、身の回りのお世話をしてくれる若い娘の存在がありました・・・
摺木(するき)の百姓の娘だそうで、お世話をするうちに遠くて近きは男女の中・・・。
幸村の子をみごもったものの、追っての危険から女と子どもを守る為、大川という海の近くの村に嫁がせたそうな~。
やがて男の子が生まれ、のちに真江田の性を名乗っている。
その後、幸村を偲び海より丸い小石を拾っては、お墓参りに訪れてお賽銭代わりに小石を供えたとされています。
墓の周りには、今でも丸い小石が沢山見受けられます。
他にも多々、伝説が残されています。地元パンフレット「雪丸GUIDE」より
雪丸への行き方(Googleマップ)
参道は砂利を敷き整備されてますが、最後の100mから少し滑りやすかったりします。
スニーカーのような歩きやすい靴を履かれた方が良いでしょう。
最後に
私は元々歴史的な事は好きでも無く信じておりませんでしたが、真田幸村のお墓をお参りして
こうやってここにお墓が存在してる事で断然興味がわいてきました。
幸村と一緒に薩摩に逃げ延びてきた豊臣秀頼のお墓は鹿児島市内の谷山地区に有るそうです。
次の機会には是非、秀頼のお墓もお参りしてみようと思っております。